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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 州 : [す, しゅう] (n) sandbank
ジョプリン(Joplin)は、アメリカ合衆国ミズーリ州南西端に位置する都市。人口は45,504人(2000年国勢調査)。都市圏では100,000人を超える。また、市への通勤人口が多く、昼間人口は250,000人に達する。 古くは鉛鉱業で栄えた。第二次世界大戦後に鉱山の閉鎖が相次ぎ、一旦は寂れるが、現在ではミズーリ・カンザス・オクラホマ・アーカンソーの4州にまたがる、フォー・ステート・エリア(Four State Area)の中心都市として発展している。 しかし、2011年5月に発生したEF5の竜巻が市街地を直撃し、町は壊滅状態となった。この竜巻による死者は162人、倒壊家屋は8400棟以上に上った。単一都市としての犠牲者数としては最悪の数値である。これにより米国政府は緊急事態宣言を行い、赤十字は全米に募金を呼びかけるなどした。 ==歴史== 南北戦争の開戦以前には、ジョプリン周辺では鉛の鉱脈が発見されていた。しかし、ジョプリンが発展し始めたのは南北戦争後のことであった。1873年頃には、ジョプリン周辺には鉛の採掘のためにキャンプが張られ、住民のジョン・C・コックス(John C. Cox)によって都市計画が出されていた。 コックスは近くを流れる小川にちなんで、村をジョプリン・シティ(Joplin City)と名付けた。このジョプリンという小川の名そのものは、19世紀中頃にこの地にメソジスト教会を設立したハリス・G・ジョプリン牧師(Harris G. Joplin)からつけられたものであった。やがてジョプリン・シティは対岸のマーフィーズバーグ(Murphysburg)と合併するが、この合併は違法であったため、すぐに解消された。しかしそのすぐ後に再び合併し、ジョプリン市となった。 19世紀末頃には、ジョプリンは地域一帯の中心都市となるまでに発展した。メイン・ストリート(Main Street)沿いでは建設ラッシュが起こり、バーやホテルが次々と開店し、周辺には民家が建ち並ぶようになった。また、ジョプリンは州南西部におけるトロリー・鉄道交通の拠点ともなっていった。やがてジョプリンは世界の鉛・亜鉛の首都、と言われる鉱業都市へと発展していった。 しかし第二次世界大戦後、ジョプリンの繁栄を支えた鉱山は次々と閉鎖になった。人口は伸び悩み、街は寂れていった。1960年代から70年代にかけては、「都市再開発」の名のもとに、歴史的なダウンタウンの160,000m²にも及ぶ広いエリアが取り壊しの憂き目にあった。現在ジョプリンに残っている歴史的な建物の中には、国の史跡(National Register of Historic Places)に指定されているものも多い。ジョプリンの歴史的な建物の中には次のようなものがある。 *ハウス・オブ・ローズ(House of Lords) *コンノール・ホテル(Connor Hotel) *キーストーン・ホテル(Keystone Hotel) *ニューマン商業店(Newman Mercantile Store) *フリスコ・ディーポ(Frisco Depot) *ユニオン・ディーポ(Union Depot) *スコティッシュ・ライト大聖堂(Scottish Rite Cathedral) *リバティ・ビルディング(Liberty Building) *フォックス・シアター(Fox Theatre) *クリスタル・ケイブ(Crystal Cave) 1990年代に入ると、ジョプリンやその周辺部は再び成長を始めた。現在、ジョプリンは4州にまたがるフォー・ステート・エリア(Four State Area)の中心都市として発展している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョプリン (ミズーリ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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